蝦夷 笹沢魯羊『宇曽利百話』によれば、十七世紀の津軽に、アシタカという酋長に率いられた蝦夷の一族がいた。
『もののけ姫』の物語全体の大枠を思わせる物語がある。それは五千年以上前に書かれた人類最古の叙事詩『ギルガメシュ』である。
かつて人類最初の文明が発生した地、メソポタミアには巨大なレバノンスギの原生林があった。シュメールの神エンルリに命じられた半身半獣の森の神フンババは、数千年もの間、人間たちから神々の森を護って来た。
ところがある日、ウルクの王ギルガメシュは「人間は今まで、長い間自然の奴隷であった。この自然の奴隷の状態から人間を解放しなければならない。」と決意し、エンキムドゥと共にフンババ退治に出かけたのである。
森は余りに美しく、ギルガメシュは一瞬たじろぐが決意を新たに森を伐る。怒ったフンババは凶暴化し、嵐のような唸り声をあげて、口から炎を吐いて襲いかかる。ところが、ギルガメシュとエンキムドゥはひるまず立ち向かい、ついにフンババは首を刈られて殺されてしまう。それを可能にした最強の武器こそ青銅の斧であった。人類は金属器の開発によって、ついに森を征服したのだ。
しかし、フンババ殺しの天罰を受けてエンキムドゥは殺されてしまう。ギルガメシュは、あの世に旅立ちエンキムドゥを連れ戻そうとするが失敗する。不死の薬を入手することも出来ず、失意の末にウルクにたどり着いたギルガメシュは次の言葉を残して息絶える。
「私は人間の幸福のために、いかなるものを犠牲にしても構わないと思っていた。フンババの神と共に、無数の生きものの生命を奪ってしまった。やがて森はなくなり、地上には人間と人間によって飼育された動植物だけしか残らなくなる。それは荒涼たる世界だ。人間の滅びに通じる道だ。」
神を殺して最高の権力を手にした者にも手に入らなかったもの、それは生死を司る自然の摂理であり、支配でなく共生の価値観であった。アシタカの言葉「シシ神は生と死そのものだ」が頭をよぎる。
宮崎監督の意図かどうかは分からないが、『ギルガメシュ』には『もののけ姫』に深く通じるテーマを感じる。同時に、五千年の時を経ても人間の抱える矛盾が少しも解決されていないことを思うと暗澹たる気分になる。
ギルガメシュに相当するエボシ御前は、部下でなく片腕を失い、失意の底で死ぬことなく、生き延びるわけだが、タタラを囲む復活の新緑は「人間と人間が飼育する動植物」にならなかったかどうか。史実の回答は否定的である。
『もののけ姫』が「人間と自然」をテーマとして扱った物語であることは一目瞭然である。人間も自然も心優しい存在でなく、自らの生を賭けて凶暴な破壊と殺戮を繰り返す。憎悪は最後まで残り、破壊の爪痕も消えることはない。一見明るくも苦々しい結末には、宮崎監督の現代社会を生きるための思想が滲み出ている。
これまで述べて来たように、『もののけ姫』の各シーンには多くの学説や神話の要素が凝縮されている。本論で挙げたものの中には宮崎監督が意識していないものもあったかも知れないが、それは同じ人間の営みの中で生まれた物語というアバウトな共通性でご勘弁願うことにしたい。
本論の最後に、作品の背骨を形成している宮崎監督の思想を追ってみたい。
「失われた可能性」というキーワードからは、宮崎監督が尊敬する以下の実在の人物たちを想起することも出来る。
まず、優秀な飛行機乗りで作家のサン=テグシュペリ(一九〇〇~四四)である。ファンタジックな児童文学『星の王子さま』や、飛行士の体験を基に綴った『人間の土地』『夜間飛行』などの著作で有名な彼は、対ナチスのフランス解放戦争に従軍し、地中海上で行方不明となっている。
次に、対ナチス戦争で英国軍戦闘機乗りとして活躍し、後にアメリカで作家になったロアルド・ダール(一九一六~九〇)。アフリカの石油売りだったダールは、突然志願して飛行機乗りとなり、わずかな訓練でナチス機を迎撃した天才であった。その行動には迷いがなく、豪快で自己完結的であった。作家としては、宮崎監督が傾倒した『飛行士たちの話』『単独飛行』など初期の自伝的小説の他、人形アニメーション映画『ジャイアント・ピーチ』(一九九五年アメリカ/ヘンリー・セリック監督)の原作として有名な『おばけ桃の冒険』などの児童文学がある。『単独飛行』に登場する複葉機「タイガー・モス」は、後に『天空の城ラピュタ』に登場する海賊船の名前にもなっている。
そして、国内で最も尊敬していた作家に堀田善衞氏(一九一八~)と司馬遼太郎氏(一九二三~九六)がいる。
堀田氏は、戦中・戦後を通じて独自の観点から日本の軍国主義を批判し、ヨーロッパ文明や日本中世などを俯瞰された人物である。監督は、当初堀田氏の著書『方丈記私記』を下敷きとした平安末期の時代劇を構想していた。
『方丈記』の著者鴨長明(一一五三~一二一六)の生きた平安末期は、遷都後の政治混乱に飢饉・大地震・火災などが重なり、荒廃の一途であった。長明は、世を捨てて隠遁したが、乱世の観察と原因探求を怠らないことで社会批判の姿勢を示した特異な人物である。堀田氏は、『方丈記』の世界と第二次大戦末期から敗戦に至る日本社会の混乱を重ね合わせ見たのである。
監督の構想が実現しなかった背景には、鴨長明の生きた死屍累々たる混沌の時代が、余りにオウム真理教事件や阪神大震災の世情とダブって見えたため敬遠したと思われる節がある。(前述『週刊朝日』掲載・司馬氏との対談)
司馬氏は、二十二歳で敗戦を迎えて日本に失望したことを原点として、尊敬すべき日本人像を求めて歴史小説の作家になったと言う。小説を断筆した末期に書いたエッセイ『この国のかたち』や対談・紀行集は、自己批判と一体の現代社会批判の意味があったのではないかとも言われている。司馬氏が小説に託して変革を望んだ日本人像とは、遠くかけ離れてしまった社会に対して、庶民の歴史と風俗という観点からアンチテーゼを発し続けていたのである。なお『この国のかたち』の最終巻には、司馬氏がこだわり続けた鉄についての考察が収録されている。
また、考古学の分野では藤森栄一氏(一九一一~七三)の影響を受けたと言う。藤森氏は、独自の山岳フィールド・ワークの成果に基づき、「縄文中期の信州・八ヶ岳に農耕文化圏があった」という仮説を立て、学会の猛反発に合いながらも生涯筋を曲げずに通した気骨漢であった。同時に、優れたエッセイストでもあった。近年、青森県の三内丸山遺跡など大規模な縄文遺跡が次々と発掘され、縄文時代農耕起源説が再考されている今日、藤森氏の学説は再び大きな注目を集めている。
これらの人々は、物を見極める理知的視線とドン・キホーテ的痛快さを併せ持ち、時代の大勢に切り込んでいった人々ではなかったか。また、国家のイデオロギーや民族主義に振り回されることなく、独自の価値観を貫いて来た人々でもあった。それは「失われた可能性」に対する抵抗や自己主張であったと呼んでもいいのではないか。
宮崎監督の作品に登場する気持ちのいい人物たちには、この実在の人物たちに対する尊敬が脈打っているのではないか。「どう生きるべきか」という処方箋は、独り勝手な瞑想にふけって生まれるのではなく、必死に生きた人々を手本に必死に習わなければならない実践的問題でもあるのだ。
皆さん御存知のスタジオジブリの名作『もののけ姫』 その主人公の一人である大和朝廷に滅ぼされた(?)蝦夷の末裔であるといわれているアシタカ.
宮崎監督は、「失われた可能性」というモチーフを反復して使っている。
『風の谷のナウシカ』は、腐海に埋没する直前の村々や戦場が舞台であった。『天空の城ラピュタ』は、失われた文明の末裔の物語であった。冒頭の舞台は失業者であふれる直前の炭坑の町で、軍隊が台頭する直前のキナ臭さも描かれていた。『となりのトトロ』は、高度経済成長から列島改造論へ至る直前の日本の農村風景が舞台であった。『紅の豚』では、世界恐慌からファシズム台頭に至る過程のイタリアが舞台であった。また、デビュー作である漫画『砂漠の民』に於いても、後にモンゴル帝国によって絶滅させられた架空の騎馬民族の前史を描いていた。
並べて見ると、いずれも絶望的に環境が改編される一歩手前の舞台背景を選んでいることが分かる。これは趣味の連載漫画などでも、第二次世界大戦末期のドイツや日本の兵器にまつわる物語を多く描いていることからも分かる。そして、いずれも「このような人物たちがいれば、万に一つは絶望が回避されたかも知れない」と思わせるような、快活で聡明な人物たちの物語を作り上げて来たのである。
もちろん、史実の壁は厚く、数人の英雄的活躍などで絶望的状況は回避されたりはしない。しかし、こんな人物たちがいたら、そして絶望の一手前で大変な冒険を経験していたならば、最悪の状況でも逞しく生き抜いていけるのではないか。そうすれば、歴史はもう少しマシになっていたかも知れない。それは、「失われた可能性」の発掘作業としての作品作りと言うべきではないか。宮崎監督は、以前以下のように記している。
「人間は生まれ落ちたときに、“可能性”を失っているのである。過去と未来に人類の歴史がある中で、一九七八年に生まれた瞬間、あらゆる時代に生まれてくる可能性をその可能性をその人は失ってしまったわけだ。そこで、空想の世界で人は遊ぶ。これは、一種の失われた世界への憧れであり、アニメをつくる原動力になっているといえよう。」(『月刊絵本別冊アニメーション』一九七九年三月号掲載『失われた世界への郷愁』)
『もののけ姫』の場合、これまで見て来たように「失われた可能性」の発掘作業が細部の設定に至るまで驚異的なほど徹底している。照葉樹林、蝦夷、室町時代の女性職人、タタラ製鉄、石火矢、森の神々―。これらは、単なるお伽噺ではない。これらは、人間中心の近代文明の発展の中で失われてしまった「もう一つの日本」であり、学ぶべき多くの教訓を含んでいるのだ。
壮大なスケールで「失われた日本」を描き、そこに現代に通じる「自然と人間の関わり」という普遍的テーマを貫くこと、宮崎監督の「決着」の一つはここにあったのではないか。そこには、経済的・政治的閉塞状況下で、最悪の二十一世紀を迎えようとしている現代世界に対する強烈なメタファーが込められている。同時に、現在を「失われた過去」にしないために、作中の人物たちのように絶望的環境であっても積極的に可能性を模索して生きなければならない―というメッセージが込められているのだ。
これが世界の観客に向けられたキャッチコピー、「生きろ」の意味だったのではないか。
物語では描かれていないが、実際のタタラ製鉄の場所には必ず祀られていた神があった。その名を「金屋子神」と言い、何故か日本神話には登場しない神である。各地に微妙に異なる金屋子神の昔話が伝えられている。
金屋子神は、播磨から出雲に赴いた製鉄の神で、自ら初代の村下となって働いたと言われる。(村下を随行していたとする話もある。)その素性が面白い。カナヤマヒコ(金属神)と、山神・海神を父母に持つ人間の娘との間に生まれた子供だというのだ。これは、タタラ製鉄は山=樹木と海=水との共存・調和があって初めて栄えるという示唆を含んでいるのであろう。
これとは別に、カナヤマコヒとカナヤマヒメの子供であるとする伝承もある。金屋子神の両脇には杉の大木が植えられているが、これが親子三神を意味するとのことである。
また、金屋子神は女性だったと伝えられている。しかも、犬(土地によっては四つ目の犬)に追われて、その土地に倒れ込んだというのだ。山犬に片腕を取られ、タタラ場に生還したエボシ御前そっくりの話である。
さらに、中国にも良く似た女神の話がある。『広東新語』には広東地方の製鉄の祖として「湧鉄夫人」という守護神の話が書かれているという。それには「炉将に傷めば、すべからく白犬の血をもって炉に灌げばすなわち無事をうるべし。(中略)その神は女子。(中略)その夫官鉄の逋欠するを以て是において身を炉中に投ず。以て鉄多く出る。」とある。ここでは何と、白犬の血(生贄か)で修復された炉に、自ら投身自殺をすることで鉄が湧いたと言うのである。これも、作中のモロの死や片腕を失うエボシ(宮崎監督によれば、「壮烈な死」という腹案もあったと言う)の話と不思議なほど対応する。
中国でも日本でも、製鉄の神がなぜ女神なのか、製鉄を妨げる者がなぜ犬なのかは分からない。神聖なる技が母神信仰とつながったのか、森を伐る自然破壊の後めたさが犬神殺しとなったのか。これらの含意は、作中の構造と通じる部分が不思議なほど多い。
ともあれ、差し迫る乱世にあって、エボシタタラの人々に問われたのは、この「金屋子神」の思想であったのではないか。あるいは、エボシ御前とサンをめぐる寓話が後世に語り伝えられて、「金屋子神」信仰となった―などと考えてみたくもなる。
近世に出雲最大のタタラを有していた菅谷地区の金屋子神は、今も大きな岩の下に祀られている。その岩をタタラ場の人々は愛着を込めて次のように呼んでいたと言う。「烏帽子岩」と。
一六五〇年以降のイースター島の食糧危機はなぜ起きたのか。それは、人口が増え過ぎたためと、何よりも樹を伐り過ぎたためである。
樹の激減は土地の養分と保水力を低下させ、表土流出を招いて畑作を不可能にする。河川は枯れ、泥水でも飲まねば生きられず、疫病が発生する。海に流れる養分もなくなるため、近場の魚はますますいなくなる。遠洋航海用の大船を作る樹もないので、漁も移住も不可能になる。木造家屋の建造も不可能となり、草ぶき小屋や洞窟住まいを余儀なくされる。唯一の食料である鶏を他部族から守るために石小屋が建てられ、それを巡って抗争が起きる。―そして全島で戦乱が頻発し、相互に殺し尽くし、食べあうという最終事態にまで至ったのである。
島の資源は最初から乏しく有限であった。島に暮らす住民は、七千人もの人口を支えられる食料が続くわけもなく、樹を伐り尽くせば生えないことは充分分かっていた筈である。にも関わらず、人々は人口増加も森林伐採も抑制することが出来ず、最後の最後まで巨石像を彫り続け、運ぼうとまでしていたのである。人々は自滅するまで資源消費の欲望を捨てることが出来ず、ついに資源再生と共生の術を知らなかったのだ。
環境考古学者の安田喜憲氏によれば、クレタ島のミノア文明やローマ文明もまた、数世紀の繁栄を欲しいままにしたものの、樹の消滅と共に資源争奪戦争が起こって消滅したと言う。イースター島文明滅亡の歴史は、世界各国の文明の歴史を凝縮したものであったのだ。
我々には、イースター島やローマの民を「愚かな民」と笑う資格はない。現在、地球の総人口は毎日増え続け、資源も減り続けているが、大量消費の欲望を制限しようという動きは極わずかなものであるからだ。
一九五〇年代には二五億人に過ぎなかった地球の総人口は、わずか四〇年で五〇億人を突破している(九七年現在で五八億人)。地球の資源総量で、先進国の価値観で言う「最低限の人間生活」を維持出来るのは、八〇億人が限界と言われている。しかし、今のままでは単純計算で二〇二〇年には八〇億人を突破、二〇五〇年には百億人に近くなる。それは、全世界の砂漠を緑化し、耕地面積を最大限に拡大しても、まかない切れない数だと言う。さらに、先進諸国の贅沢な消費生活や後進国の人口増加の加速が、このリミットを大幅に前倒しにすることは確実である。
宮崎監督の見解はさらに厳しい。
「地球の人口が百億になることを想定して物事を考えたりするのは、非常に傲慢な感じがする。とても百億まで行かないだろうと思ってしまいます。」(前述『週刊朝日』掲載・司馬氏との対談)
「アトピーやエイズの渦の中で、子供を生み、人口が百億人になっても、ひしめき合いまじり合って生きていかなければならないと考えている。」
(『朝日新聞」九四年二月二四日付インタビュー)
「資源を喰い尽くせば文明は消滅する」という教訓は、全世界に重くのしかかっている。たとえ、この国が照葉樹林地帯であっても、アスファルトとコンクリートの敷設された土地や、水脈や生態系を破壊して建造したゴルフ場には森は再生しない。現在の消費量を維持するために、他国の資源争奪を巡って戦争が起きないという保証はない。(実質的には既に経済的な市場争奪戦下にある。)他国を収奪して豊かになれば、ますます難民や移民が増えることになるだろう。ギルガメシュの遺言であった「滅びの道」を驀進している我々は、イースター島の教訓を生かすことを真剣に学ばなければならないのではないか。
なお、宮崎監督は漫画版『風の谷のナウシカ』の連載終了前後に、このイースター島学説を序章とするクライブ・ポンティングの著書『緑の世界史』を読み、大きな衝撃を受けたと語っている。(『COMIC BOX』九五年一月号掲載インタビュー)『もののけ姫』の制作にあたり、監督はここに思想的出発点を見い出したのではないか。
前述の「シシ神は生と死そのもの」という言葉には、この全人類的大テーマが含まれていたのではないだろうか。
エボシ御前は、天朝様との約束(タタラ場の自治権存続と交換にシシ神の首を献上することであったと思われる)を果たせず、師匠連から送り込まれた監視役である唐傘連とも対立状態となった。アサノ公方の差し向けた地侍たちも大量に殺してしまったのであるから、侍との戦闘状態も継続するのではないか。エボシ御前がタタラ場を存続させるためには、天朝・侍双方を敵とした孤立無援の闘い、乃至は高度の政治的駆け引きが問われることになるであろう。いずれにせよ、森と共存するタタラ場の存続は困難を極めるに違いない。だからこそ、アシタカはこの地に残る決心をしたのではないか。
しかし、史実を見るならば、室町時代中期以降にシシ神の教訓が生かされた形跡はない。製鉄産業=森林破壊は更に進み、武器は粗製濫造されるに至る。武器が幾らあっても足りない戦国時代に突入してしまうのだ。遍歴民の地位は落ち、百姓一揆も一層頻発するようになる。エボシタタラとシシ神の森を維持するための闘いは、一層厳しいものとなったであろう。
冒頭シーンに出てくるこの村は『もののけ姫』の主人公・アシタカの出身の村です。 ..
暴走するディダラによって焼かれた山々は、「焼畑」を彷彿とさせる。古来より照葉樹林帯では、木々を伐採して乾燥させた後に火を放ち、焦土を開墾せずに畑にする焼畑農業が行われて来た。それは、最も原始的な畑作農業の形態である。
しかし、この作業はいきなり焼き払うのではなく、事前に神々の土地を侵すことに許しを請う儀式が不可欠であった。人は森の神々に気を使う下宿人であり、主人ではなかった。そして、人が畑作を止めて移住してしまえば、また森は復活出来たのだ。
首を捕られたシシ神は、森の守護神としての力と権威を失い、人々に森をあけ渡すことを余儀なくされた。そして、このことが山々が焼けただれる=焼畑による開墾に直結する。大規模で徹底的な焼畑は、生態系のバランスを崩し、土地の保水力も奪うことから、自然災害が多発し、人は自業自得の苦しみを味わうことになる。これが首を失って凶暴化したディダラの姿に相応する。
しかし、シシ神の首を返還することによって、神としての権威は復活する。ただし、シシ神は朝陽を浴びたために実体を失い、バラバラになった姿で地下に浸透することになった。至る所で森は復活するが、人々の家屋を押し潰し破壊するまでに木々が茂ることはなかったようだ。
これは、森との共存=資源のリサイクルを自覚した人間たちが、自覚的な環境保全を行ったことを意味しているのではないか。ただ、暗い闇を含んだ原生森(シシ神=ディダラ)は一度征服(斬首)され、隅々にまで文明の光(つまり朝陽)があてられてしまったために、神々の威光は失われてしまった。人間の心からの畏怖・自然信仰はなくなってしまった。これがサンの語る「シシ神様は死んでしまった」の意味である。
しかし、アシタカは語る。「シシ神は死なない。生と死そのものだから。」
と。つまり、シシ神への畏怖=森との共存は人の生死に直結していると言うことである。一度実体を殺してしまった神を、自らの心に再生出来なければ、再び森は壊滅してしまうだろう。その時、自然は凶暴化し、資源も枯渇して人心も荒れすさび、文明は滅びてしまうのである。重要なことは、自然と真剣に共生するという観点と、人間の欲望のコントロールである。
アシタカの言葉は、司馬遼太郎氏が生前何度も語った、「人間として最も大切なものは礼節である」という思想を代弁したものではないだろうか。
『もののけ姫』の主人公アシタカのモデルはエミシとされている。ご存知だろうか。今回は東北の歴史とアシタカとの繋がりを紹介します。
ラストシーンで、エボシ御前に首を狩られたシシ神=ディダラボウは、バラバラになって、山を焼き払いながら襲いかかる。その後、サンとアシタカの活躍によって首を取り戻したディダラは、朝陽を浴びて倒れ、再びバラバラになって消滅してしまう。ところが、このバラバラになって降り注いだ塊から方々に緑が芽吹き、森は再生し、タタラ場も緑で覆われる。
実はこのラストシーンは、日本神話に共通する内容を多く含んでいる。それは、「神を殺して、バラバラに埋めた場所に緑が生まれる」という図式である。これは各地に伝わる「死体化生型神話」に通じるものがある。
『古事記』(七一二年完成)には、次のような話が記されている。
「下界に下ったスサノオはオオゲツヒメに食べ物を所望した。ところが、オオゲツヒメは、鼻や口や尻から食物を出して饗宴したので、スサノオは怒ってヒメを殺してしまった。すると、ヒメの死体の頭に蚕、両目に稲、両耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生じた。そこでカミムスビノカミがこれを取って種にした」
また『日本書紀』第五段には、次のような話が記されている。
「アマテラスの命で弟のツクヨミが下界のウケモチノカミを見に行った。ウケモチノカミは口から御馳走を吐き出してもてなそうとした。しかし、ツクヨミは、けがらわしいと言って斬り殺してしまう。そのウケモチノカミの死体の頭からは牛・馬、額に粟、眉の上に蚕、眼に稗、腹に稲、陰部に麦と大豆・小豆が生じた(一書十一)」
「イザナミが火神カクヅチを生み、産道に大火傷を負って死ぬ。カクズチはハニヤヒメと夫婦になり、ワカムスビを産む。ワカムスビの頭の上に蚕と桑が生え、臍の中に五穀が生まれた。(一書二)」
いずれも、女神の死後(ワカムスビの場合は不明)、死体からバラバラに作物が生じる展開であり、作物起源神話と言われている。山姥伝説や、瓜子姫とアマノジャクの昔話にも、良く似た類型を探すことが出来る。
これらの神話や昔話は、世界各地の神話に類型を見い出すことが出来る。中でも、東部インドネシアに伝わる「ハイヌヴェレ型」神話は、最も古いものではないかと言う。これを発生源として神話が各地に伝播した可能性も高い。こちらの話では、民衆に殺された女神=ハイヌヴェレが、夫によってバラバラにされて埋められ、そこから作物が発生したとされている。
ところで、縄文時代に、土偶をバラバラに砕いて埋めるという風習があったことはよく知られているが、これは最初から壊しやすいような工法 (「分割塊製作法」と言う)で巧妙に作られていたと言う。しかも、土偶のほとんどは妊娠状態にある女性を形どったものである。このことから、女神をバラバラにして埋めて豊作を祈る儀式であった可能性を指摘する説がある。それは、「縄文時代にすでに農耕文明があった」という大仮説を裏付ける有力な証拠でもある。
一方、作物だけでなく、イザナミが死の間際に苦しんだ際の嘔吐からは金属の神カナヤマヒコとカナヤマビメが生まれたとも言われる。さらに、イザナギによって殺されたカクヅチもバラバラにされ、それぞれが山の神や水の神になったと言う。古来より、神の惨殺―バラバラ死体と農耕・産業の発生は一体と考えられていたのだろうか。
本作では、累々たる神々の死とバラバラ遺体が人間の明るい展望に繋がるというラストが描かれる。これは、どうにも幾多の神話と重なって見えて仕方がない。
アシタカのプロポーズに対し、サンは「アシタカは好きだが、人間を許す事は出来 ..
シシ神の夜の姿であるディダラボッチは、世界各地に伝わる巨人伝説を彷彿とさせる。天を覆う不気味な巨人は、まさに夜そのものである。
直接的には、関東一円に伝わるダイダラボッチ伝説に語源を求めることが出来る。ダイダラボッチは手足足長の巨人で、深夜に出没して橋や建物を動かすと言われている。東京都世田谷区ではダイダラボッチがかけたと言われる橋があり、地名もこれに由来して「代田」と名付けられている。
ダイダラ伝説の中には、頭を奪われて凶暴化したダイダラが土地を荒らすという、作品そっくりの内容もあると言う。
沖縄本島には、アマンチュウ(天人)が岩に踏ん張って天を押し上げ、空を高くしたという巨人による創世神話が伝えられている。
作中のディダラボッチは、宵闇に広がり天を覆う。灯の少なかった時代(室町時代にはエゴマ油によるランプ程度はあった)には、夜は神々の独占する時間であったのではないか。照葉樹林から発生して、果てしなく広がる巨大な暗闇。それは、畏怖すべき悠久の自然の猛威と人間の矮小さを痛感させる。
また、全身半透明のディダラは「唐草文様」らしき斑紋で覆われている。唐草文様は、植物の花や葉の形を蔓状のリズミカルな曲線で繋いだものである。古代エジプトを発祥地として、ギリシャで完成されたと言われ、中国・朝鮮を経て日本に伝えられたのは古墳時代ではないかとされている。
唐草文様は、世界各地にヴァリエーションを持つ。中でも「波状唐草」は、山と谷を表す記号(等高線のようなものか)であったと言う。作中のディダラの文様ははっきりとは分からないが、唐草であれば、山の神の紋章という意味ではないか。
【もののけ姫】アシタカの住むエミシの村とは?【字幕付きYouTube大学切り抜き】
作中のシシ神は、生命の授与と奪取を行い、新月に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返すと言う。
月の満ち欠けが生物の生死に関わるという説は多い。海に棲む魚類や甲殻類には、満月を選んで産卵する種族が多い。
人間の場合も、潮の満ち欠けと同じように、体内の水圧・血圧が高まると言う説がある。月の引力が高まる満月・新月には、出産率や死亡率、さらには事故率・犯罪率まで高まると言うのだ。満月になると変身する「狼男」の話なども、月の引力が体内を変化させる性質に注目したフィクションではないか、とする説もある。
シシ神の存在は、月と連動する生死の神秘と関わるものかも知れない。
また、カモシカのように大きいシシ神の角は、樹木で出来ていると言う。角に魔力があるという信仰は多いが、森の神として樹木を頂いているのか。また、生物の頭には力が宿るという信仰は多いが、頭部が人間に見える(変化する)のもこの為か。
シシ神は、何とも解釈しがたい不思議な表情をしている。
宮崎監督は、かつて映画『ネバーエンディング・ストーリー』(一九八四年西ドイツ/ウォルフガング・ペーターゼン監督)の龍や亀の擬人化された顔形を嫌い、作者の自然崇拝の貧困さが透けて見えるとして痛烈に批判していた。
「何を考えているかわからない方が、自分たちにとってはるかに憧れの対象になるんです。要するに、人間が擬人化して、感情移入しやすいものにすればするほど、つまらなくなるのですね。」「簡単には理解できない存在、力みたいなものへの憧れが、どうも初めからある。」「そういう自然観を自分たちが持っている。」(「季刊iichiko」No,33号掲載/対談『メタファーとしての地球環境』)
シシ神の表情は、人間には解せない自然の摂理や真理とでも言うべきものを内包しているからと解釈すべきだろう。それは、人間感情を自然に対しても押し付ける擬人化を嫌い、自然は人間の理解を超えた存在と考える監督の自然観が生み出したものであった。
このため彼らは「天朝さま(帝・天皇)」からの任務=「シシ神殺し」を背負って登場します。 本来の意味での「征夷大将軍」とは
物語の鍵を握る幻の神・シシ神は、漢字で「鹿神」と書く。その名通り身体は鹿だが、頭は人に見えることもある。その形状は諸星大二郎の描いた漫画『孔子暗黒伝」に登場した「開明獣」を彷彿とさせる。(宮崎監督は同作品の熱心なファンであった。)物語では、その血に不老不死の魔力があると伝えられる鹿神だが、この設定にも史実の影を感じる。
中世の僧侶の旅支度には鹿衣と鹿杖(鹿角の付いた杖)は欠かせないものであった。『梁塵秘抄』にも「聖の好む物、木の節・鹿角・鹿の皮」とはっきり記されている。これには仏教的な理由がある。一つは、釈迦が入山した際にまとっていたのが鹿皮と鹿杖だった。もう一つは、空也上人(九〇三~九七二)の話である。上人が修行中に親しんだ鹿が漁師に殺されたことから、あわれみに角と皮をもらい受けて身につけた。このことから、浄土教の流れを組む一遍上人(一二三九~八九)など時宗一派に鹿杖・鹿皮のスタイルが流行したと言う。
鹿は実際に神として祭られてもいた。筑前の志賀島は、古くは「鹿島」と表記された島で、志賀海神社には一万本の鹿角が祭られている。鹿は群をなして海を渡る動物と言われ、海人との関係が深いとも言う。東北には前述の「鹿踊」の風習がある。日光では、今も狩猟の際に鹿の頭に祈りをさざける風習がある。
鹿の美しい皮としなやかな肢体は、古来より狩人たちの格好の的とされ、徹底的に狩られて来た。中世に於いて「狩」とは、「鹿狩り」のみを指す用語だったと言う。また、狩人たちが鹿を祭るのは供養の意味もあったと言う。潤んだ大きな瞳に、死に行く獣の哀れみを感じた為か。
なお、司馬遷の『史記』に『秦其ノ鹿ヲ失ヒ天下共ニ之ヲ遂フ』とあり、これに由来する「鹿を遂う(互いに政治権力を得ようと競争する)」という故事もある。『もののけ姫』の物語はまさに「鹿を遂う」話である。