米ドル対円相場(仲値) 一覧表 (2000年) | 七十七銀行
90年以降は日本のバブルが崩壊し円高が進行した。1995年4月にはドル円は一時79円台と80円を割り込み当時の史上最安値をつけた。4月の月中平均は83円53銭だった。90年代後半には、日本の銀行の不良債権が拡大し金融機関が相次いで破綻し、アジア通貨危機も起こったこともあって円安が進むことになる。ドル円は1998年8月には147円台を付け、1990年4月以来、約8年4ヵ月ぶりの高水準となった。
90年代後半のアジア通貨危機後から2000年台初にかけてITバブルで世界的な景気拡大局面があった。世界景気拡大でドル安が進み、1999年11月には101円台の円高を付けた。月中平均では1999年12月の102円61銭が円高のピークとなった。2001年に米同時多発テロが起きたことで、ITバブルは完全に崩壊する。ドルは売られたが円も売られたため、ドル円は比較的狭いレンジでの動きだった。2007年の世界的な景気拡大局面にあわせて、ドル円は2007年6月には122円64銭と約8年10ヵ月ぶりの円安をつけた。
日本政府は、急激な円高で日本の輸出企業が大きなダメージを受けることを避けるために、景気対策として超低金利政策を推進した。これが世界景気の拡大および日本のバブルを助長することとなった。ドル円は1990年4月には160円35銭まで買われ、4月の月中平均は158円50銭と約7年6ヵ月ぶりの高値を付けた。
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ドル円の8年周期は、主要通貨のサイクルの中ではもっとも信頼性が高いともいわれている。この周期は景気のサイクルと連動しているという見方が主流だ。また、8年周期が投資家に周知されており有名なため、投資家がそのサイクルに導かれているのではないかとの指摘もあるようだ。
2000年代に入ってからは100円台から120円台で推移しましたが、2011(平成23)年には東日本大震災の発生による円需要の高まりなどによって再び1ドル80円を割り、その年の10月末には現在まで破られていない円の最高値75円32銭を記録しました。
2008年4月4日
世界的な"ドルの凋落"傾向の中で、その代わりの一つとして"金"が買われている。米ドルの国際基軸通貨の座が危ぶまれる状況の中で、ユーロがその最大の対抗馬なのだが、巨額のドル資金の受け皿としては不十分。そこで、よく考えてみたら、昔は金本位制と言って、金が通貨だった。ドルだって1971年までは金と1オンス=35ドルの比率で交換できた。だから、皆がドルを信用して国際的な支払い手段として使い続けた。ところが、金とドルが交換できなくなった今になって、そのドルの発券国である米国の経済の行方がサブプライム問題とかイラク戦争介入とかで怪しくなってきた。原油や穀物価格が高騰しインフレが"死語"から"現実的な問題"になっているときに、日銀にあたるFRBは、住宅ローンを抱えた低所得者を救済するために、なんと金利を下げている。一年で7000億ドルの経常収支赤字を出す国が発行する通貨の本当の価値が問われている。ここに、貨幣制度の原点に戻って金本位制に戻ることも"有り"なのではないか、という議論が頭をもたげてくる背景である。
しかし、その答えは"NO"。あり得ない。金本位制というのは、たとえば、日銀は日本国が保有する765トンの金に見合う量以上には通貨を勝手に発行できない、というルールに基づく。だから、国がどれだけ借金を積み上げても、輪転機を廻して日銀券をどんどん印刷することにより返済することはできない。インフレで通貨の価値が下落することはない。ただし、その代償として、日本国がどれほど優秀な人材とハイテク技術を抱えていても、経済成長に必要なおカネが経常的に不足して経済立国とはなりえない。代わって、金資源に恵まれた南アといような国は潤沢な通貨供給が出来る。そこで、昔の大英帝国のように南アを植民地化して人種隔離政策をとり、金資源を手に入れようとする動きが当然のように出てくる。金本位制度はインフレ対策としては有効だが、経済成長に必要な量の通貨を供給できないという致命的欠陥があるのだ。
そこでドルと金が交換できない、今のドル本位制度が構築された。信用通貨制度となり、全くのペーパー通貨となった米ドルだが、米国が発行するなら心配あるまいという前提であった。FRBに経済成長に必要な通貨の量を供給する重要な任務が任されたのだ。"通貨の価値を守る番人"としてFRB議長は、世の中が原油高騰などでインフレの懸念が出てくれば、直ちに発行供給するドルの量を減らして、経済の過熱を防がねばならない。逆に不景気になれば、通貨の供給バルブを緩めてデフレを防がねばならぬ。あるいは、今回のような金融危機に際しては緊急措置として民間に資金を注入せねばならない。
ところが、サブプライム問題と原油高騰の同時進行という現在の米国経済の状況は、"通貨の番人"の仕事を非常に難しくしてしまった。サブプライムを救済しようとすれば住宅ローンの金利を下げねばならない。でも、インフレによる物価高を抑えようとすれば金利は上げなければいけない。要は、金利を上げても下げても、国民は痛みを感じる結果となる。Lose-lose=どっちに転んでも負けのシナリオである。
そこで、現実にFRBが取った選択は、利下げ=眼の前に迫った金融危機脱出のためには、インフレには目をつぶるというものであった。さらに、巨額の緊急資金投入措置。これはマグマのごとく沈澱し、世界的金余り現象に拍車を掛けるという"副作用"を持つ特効薬である。
この有様を眼の前にして、世界の投資家たちは、ドルという通貨の価値に不安を感じ、一斉にドルから逃げ出そうと動き出したわけだ。
そこで、金本位制はありえないが、大きな流れとして金本位制から信用通貨制度に振り切れた振り子が、また逆の方向にやや戻り始めた。今はそんな時代なのだと思う。具体的にはペーパー通貨=ドルがこれからも基軸通貨だが、"念のため"金も多少は保有しておく、という発想である。事実、当の米国は群を抜く金保有大国(8133トン)である。金を保有するということはドルへの不信任投票でもあるのだから皮肉な話だが、FRB議長を18年間も務めたグリーンスパンさんだって、講演料(一席10万ドルは下らない)をどの通貨で振り込みましょうか、と主催者事務局に聞かれたときに"ゴールド"と答えたというエピソードも伝わっている。米国経済の表裏を知り尽くした彼の言葉ゆえ 半分冗談にしても、半分本気なのか、と考えさせられる。
歴史的に見てもドルの誕生は1785年。円の誕生は1871年。対して、世界最古の金貨は紀元前6-7世紀と言われる。2000年以上の歴史を持つ金から見れば、ドルも円もたかだか200年程度の新参者。
こんな、エピソードもある。ある金関係者が京都の名刹の住職を訪問したときの会話。
住職"金は、先の大戦を経ても、独自の価値を保ってきたのですな。"
関係者"はぁ、第二次大戦でも金の価値は変わりませんでしたね"
住職"何をおっしゃる。応仁の乱のことですよ。"
本欄アーカイブでをいま一度読み直してくださいな。数多いアーカイブの中でも筆者が最も気にいっている原稿の一つです。
なお、日経新聞4月1日付け夕刊に"ペルー ティティカカ湖周辺の竪穴住居跡から4000年前の金の首飾り発見"とのニュースが出ていた。食料生産が増大し、貧富の差が拡大するより前に、金製品の製造、利用が始まっていたとの説明。そこで思ったこと。今、タイムカプセルに金貨とドル札を入れておき、それが4000年後に発掘されたら、どうなっているかね...。
ちなみに、関西大震災直後の廃墟から出てきた金庫の中から灰になった札束と 表面が焦げたけど、1オンスの重量は変わらなかった金貨が発見されたエピソード。そして、米国同時多発テロで崩落したワールドトレードセンターの地下6階にあった、同ビル内の金取引所在庫の金塊8トンが、変形しつつも8トンの重量は変わらなかったというエピソード。
結論。性善説を信じられれば通貨発行も人間に任せられる。性悪説にたてば、2000年の歴史を持ち、人間の支配を超えた価値を持つ金に"多少の"力も借りねばなるまい。
ドル円は1982年10月に278円台と80年以降の最高値をつけた。82年10月の月中平均は271円33銭だった。ソ連がアフガニスタンに侵攻し地政学リスクが高まり、有事のドル買いが進んだ。その後ドル円は反転、1985年9月のプラザ合意でドル安誘導政策が取られたため、1988年11月にはドル円は120円台まで売られ当時の過去最安値をつけた。11月の月中平均は123円16銭だった。
ドル円相場の歴史~トレンド転換となった過去のイベントを整理する
2001年から始まったブッシュ政権において、経済政策を担当したリンゼイ大統領補佐官は「親日派」として知られた。そんなリンゼイ補佐官は、デフレに転落し低迷が続いた日本経済を円安で支援するため、そして外国資本による米経常赤字ファイナンスのために米ドル高が有効との判断から米ドル高容認政策を主導したのだった。
2000年代以降は金融ショックや米金融政策などがきっかけで、今回は米 ..
ではこの外国債購入といった「究極のQE」実現を、どうしたら阻止できるか。そこで浮上したのが「口先介入」による円安誘導だった。一部報道で、財務省が複数の有力な為替関係者に、「130円を超える円安になりそう」といった「相場見通し」を伝えているといった内容が流れた。自律的に米ドル高・円安が進むことで、割高な米ドルを買う必要が出てくる米国債など外国債購入という「究極のQE」実現を回避するとの狙いと見られた。こうした中で、2002年1月にかけて米ドル高・円安は135円まで進んだのだった。