8月5日『東京パフォーマンスドールのオールナイトニッポン』(ニッポン放送) 放送
東京パフォーマンスドールが『原宿RUIDO』で始めてライブを行ったのは1990年6月9日ですが、実際に東京パフォーマンスドールの歴史は1989年11月19日に行われた『EPIC・ソニー/アンクルF合同オーディション』まで遡ることができます。
このオーディション後に集められたメンバーは、当初、木原さとみと篠原涼子の2人だけだったそうです。
その後、この2人に川村知砂を加え3人で活動していくことが決まるのですが、直前になって3人では少ないという意見が出され7人にすることが決まり、急遽4人のメンバーが集められます。
最初に集められた3人は、『原宿RUIDO』デビュー前に『ゴルビーズ』として1990年5月21日にCDデビューしていることからも分かるように、東京パフォーマンスドールの始まりはかなりごたごたしたものでした。
ちなみに『ゴルビーズ』という名前は、当時のソ連で改革を行っていたゴルバチョフ書記長のニックネームであるゴルビーをもじったもので、アイドル界に革命を起こすという意味があります。
しかし、誰がどう見てもとってつけた名前であることは明らかです。
このような事例からも分かるように、東京パフォーマンスドールはオーディションなどで人を集めて明確に始まったわけではなく、レコード会社の『EPIC・ソニー』と芸能事務所の『アンクルF』が何かを始めようとして、とにかくメンバーを集めて活動し始めたものだったと思われます。
ちなみに、東京パフォーマンスドールがCDデビューするより前にデビューしたソロメンバーやグループ内ユニットは、
このような東京パフォーマンスドール全体の活動に先んじて、篠原涼子は1991年12月8日に放送開始された『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演し、また穴井夕子も『HYU2』開始前からバラエティ番組などにちょくちょく出演していました。
私が東京パフォーマンスドールのことを詳しく認識していくのは『HYU2』からでしたが、篠原涼子は『HYU2』が始まる前に既に有名で他のメンバーと知名度に圧倒的な差があったため、当然のように篠原涼子が東京パフォーマンスドールの大エースとして君臨しているのかと勝手に思っていました。
しかしスケジュールの関係で番組出演が遅れたためか、篠原涼子の『HYU2』内のでの扱いは大きくなく、むしろ他のメンバーのほうが良い扱いを受けていました。(歌唱の際も篠原涼子は端のほうのポジションだった)
特に目立っていたのが穴井夕子です。
そのため、東京パフォーマンスドールは穴井夕子を中心に結成されたグループなのかと思ったのですが、彼女はフロントメンバーの中で1番遅く加入しており、年齢も2番目若いメンバーだったのです。
この事実を知ったとき、私は東京パフォーマンスドールの奥深さを知るのでした。
東京パフォーマンスドール、最後の「DANCE SUMMIT」で見せた8年間の集大成
1990年 5月21日:ゴルビーズ(JUST LIKE MAGIC)
1990年 6月21日:篠原リエ(愛がすべて)
1990年 7月21日:米光美保(予感)
1990年 8月 1日:木原さとみ(ブギウギ・ダンシング・シューズ)
1990年 8月22日:原宿ジェンヌ(純愛90’s)
1990年11月 1日:川村知砂(誓い)
1991年 1月21日:篠原涼子(恋はシャンソン)
1991年 2月21日:市井由理(恋して女みがいて)
1991年 3月21日:穴井夕子(WE SHOULD BE DANCING)
その後も東京パフォーマンスドールには多くのメンバーが加入し、当時、テレビ番組とタイアップされていないアイドルグループとしては、異例な大人数グループを形成していきました。
1992年10月3日には、日本テレビの土曜夕方に自分たちをメインとした番組『HYU2』が始まり、一般世間の人にもその名が知れ渡ります。(番組は1993年7月17日で終了)
そして、1993年8月16日・17日には東京武道館、1994年8月7日には横浜アリーナと、大規模な会場でもコンサートを行い、見事にそれを成功させるのでした。
と、多くの人数及びユニットに渡ります。
これは、AKB48でいうと公演曲を次から次へとシングルCD化するようなもので、東京パフォーマンスドールの活動を支えていたのがレコード会社(EPIC・ソニー)であったという事情も絡んでいるかと思います。
の7人で、以降、一般的に東京パフォーマンスドールとして認識されるのは、この7人に限定されると言っても過言ではありません。(CDジャケットなどもこの7人しか写っていない)
この際に1軍(フロントメンバー)に選ばれなかった結成メンバーの篠原リエは、このチーム分けに不満を感じて脱退してしまいました。(井口美津子と柳瀬美穂は既に脱退していた)
その後、フロントメンバーとなった7人はCMなどに出演するなど人気を集めていき、ライブメンバーとは雲泥の差の扱いを受けます。
【MV】TRICK U / 東京パフォーマンスドール(TPD)
木原さとみ
篠原涼子
川村知砂
米光美保
市井由理
八木田麻衣
穴井夕子
【MV】現状打破でLove you(Short Ver.) / 東京パフォーマンスドール(TPD)
【人物】
ダンスが得意な男前メンバーというイメージだが、グループ加入前のダンス経験は一切なかった。
東京パフォーマンスドール卒業後しばらくして芸能界を引退、その後”男性”と結婚した。
後述するラジオ『帰って来たパフォーマンスドール〜TPD Returns〜』に2014年に登場した際は、尋常じゃないぐらいのおばさんキャラになっていました。Σ(゚Д゚)
『Glitter』 -Music Video-/東京パフォーマンスドール(TPD)
初ライブ後、東京パフォーマンスドールは何人かのメンバー脱退・加入を行い、1990年12月に1軍(後のフロントメンバー)7人と、2軍(後のライブメンバー、更に『TPD DASH!!』と命名)にチーム分けされます。
1軍(フロントメンバー)に選ばれたのは、
東京パフォーマンスドール、30年間の物語と未来を歌った「TALES」配信
【人物】
顔立ちが良く非常に人気の高かったメンバー(個人的な好みを含むw)。
独特の雰囲気があり、また歌唱力が高かったため、コンサートではソロで歌うことが多いメンバーでした。
卒業後もソロ活動を続けたが長続きせずに引退、その後1度復帰するも目立ったな活動はせずにフェードアウト。
現在は地元である広島の動物愛護団体に加入しているようで、動物の殺処分を扱ったドキュメンタリーに出演し一部で話題となった。
以上、東京パフォーマンスドールのメンバーにまつわる名前の話でした。(;^_^A
東京パフォーマンスドールは、新宿から移転してきたばかりの『原宿RUIDO』を拠点に活動したアイドルグループ(パフォーマンスグループ)で、1990年6月9日に初ライブを行います。
結成時のメンバーは井口美津子、川村知砂、木原さとみ、篠原リエ、篠原涼子、柳瀬美穂、米光美保の7人で、分かりやすく言えば今でいうAKB48のような存在でした。
AKB48の公演初日の一般客が7人だったことは今や伝説となっていますが、東京パフォーマンスドールのライブの最低観客数は8人と言われており、変なところで肩を並べています。(;^_^A
東京パフォーマンスドール(TPD) (@TPD_official) / X
【人物】
フロントメンバーの中では最年少の妹キャラだが、実際には長女気質だったらしい。
東京パフォーマンスドールのフロントメンバーが出演したメガネスーパーのCMで流された『Romanticに背伸びして』は彼女の楽曲である。
東京パフォーマンスドール Tokyo Performance Doll
90年代に活動していたダンスポップエンターテインメント集団「東京パフォーマンスドール」の軌跡を記録しています。このブログは個人で運営されており東京パフォーマンスドールの所属事務所・所属レコード会社等とは一切関係ありません。
東京パフォーマンスドール(TPD)Official YouTube Channel
【人物】
同じオーディション(『ロッテ CMアイドルはキミだ!』オーディション)を受けたことのある『八木田麻衣』がいるということで、たまたま東京パフォーマンスドールのライブ会場に入り、当然のように加入を勧められそのままメンバー入りした。
東京パフォーマンスドールがアイドル路線に向かうきっかけになったメンバーと言われている。
東京パフォーマンスドール(TPD) (@tpd_official)
90年代に活動していたダンスポップエンターテインメント集団「東京パフォーマンスドール」の軌跡を記録しています。このブログは個人で運営されており東京パフォーマンスドールの所属事務所・所属レコード会社等とは一切関係ありません。
東京パフォーマンスドールTokyo Performance Doll
【人物】
東京パフォーマンスドールから初めてソロデビューしてメンバーで、元々芸歴があったらしい。
1軍と2軍のクラス分けで2軍に入れられたことに納得できず、同級生で仲の良かった『仲田薫理』と共に脱退。
東京パフォーマンスドールはどんな人? わかりやすく解説 Weblio辞書
【人物】
1994年9月フロントメンバーに昇格。
『市井由理』と同じオーディションを受け(東京パフォーマンスドール関係のないオーディション)、後日2人揃ってに東京パフォーマンスドールへの参加に誘われた。
ライブメンバーのリーダー的存在で、東京パフォーマンスドール卒業後も1年程は『川村知砂+Les,TPD』というユニットでの活動を継続していた。
木原さとみ · 東京パフォーマンスドール · 穴井裕子 · 篠原涼子
東京パフォーマンスドール大好きおじさん。いつの日かパフォーマンスドールが評価されることを願って日々邁進中。